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“漢方”と“健康”に興味のある方は、ぜひ、ご覧ください。
こちらでは簡単に、漢方の特徴と共に漢方の良さをご紹介したいと思います。
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陰陽五行推命に基ずく健康相談も香川県高松市「漢方薬局・元気通り」におまかせください。

漢方の歴史年表(中国・日本)

自然と共に生きようとする東洋思想、自然を支配し越えようとする西洋思想の違いからなのか、人間を一塊の生命体とみなし、マクロな視点から治療をおこなう中国伝統医学又は漢方に対して、人間を部品の集まりとみなしミクロな視点から治療を実行しようとする西洋医学は、その人間観は水と油に近い正反対の思想です。
ここでは、中国伝統医学と(日本)漢方の歴史と、それに影響を与えた蘭学、西洋医学の流入について年表として記載してみます。

中国《日本》の時代 年代 {中国}、《日本》の漢方の歴史とそれに影響を与えた西洋医学の流入の出来事。
《縄文時代》 紀元前10000年頃    
新石器時代      
黄河文明 紀元前2100年以前 {中国} 最も古い医療道具「?石(へんせき)」(先端が尖った鋭利なもの、丸いものなど様々な形状がある)が作られる。
    {中国} 伝説時代、三皇「伏羲(ふっき)、神農(炎帝)、皇帝または女か」
紀元前2100年頃 {中国} 「神農、百草を嘗む」の伝説。
  {中国} 「酒は百薬の長」
  紀元前1700年頃    
商(殷) 紀元前1700年頃 {中国} 巫医(ふい)の活躍。甲骨文出現。
  {中国} 疾病(しっぺい)の名称出現。
  紀元前1100年頃 {中国} 針、灸、按摩、薬物(酒剤、湯剤)の治療。
西周 紀元前1100年頃 {中国} 前900年〜前700年ごろ「易経(周易)」出現。孔子(紀元前479年没)の春秋時代に完成。
  {中国} 医事管理制度、審査制度、専業の医師出現。100種余りの薬物使用。
  紀元前771年 {中国} 「周礼」によれば、望診、問診、脈診が行われ、治療に食事療法、薬物療法、手術が行われた。

東周

(春秋時代)

紀元前770年〜紀元前476年 {中国} 医学の巫術からの離脱。医爰(いえん、又は医緩:いかん)、医和などの医家が出現。
(戦国時代)  

《弥生時代》

紀元前475年〜紀元前221年       《紀元前300年頃》 {中国} 『黄帝内経(「素問」、「霊枢」)』出現。 医家、扁鵲の活躍。
紀元前246年〜紀元前217年 {中国} 「癘遷所(らいせんしょ)」建設。癩病患者の隔離。
紀元前210年〜紀元前150年 {中国} 淳于意(じゅんうい)「診籍(カルテ)」創成。
     
  紀元前31年〜220年 {中国} 『神農本草経』成る。
  25年〜210年

《57年》

{中国}

《日本》

『難経』成る。

奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける。

  89年〜105年 {中国} 鍼灸の名人、医家、郭玉(かくぎょく)、漢和帝の太医丞に任官される。
  107年 《日本》 倭の国から使者を後漢に送り、交わりを始める。
  112年〜208年頃

《150年》

{中国}

《日本》

華佗(かだ)「麻沸散」発明、腹部手術を行い、また「五りん戯」を創案。  

このころ倭の国に大乱が起こる

三国 200年〜210年 {中国} 張仲景『傷寒雑病論(「傷寒論」、「金匱要略」)』著す。
  256年〜282年

《239年》

{中国}

《日本》

皇甫謐(こうほひつ)「鍼灸甲乙経」著す。  

邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)に使いを送る。邪馬台国は30余国を支配。

晋  266年〜282年 {中国} 王叔和(おうしゅくか)「脈経」著す。「傷寒論」と「金匱要略」の整理、再編。

《古墳時代》

 

《285年》

〜341年

《日本》

{中国}

漢字が中国から伝わる  

葛洪「抱朴子」著す。

  350年 《日本》 このころ、大和朝廷が国内をほぼ統一する。
  391年 《日本》 大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける。
南北朝 420年 {中国}  
  421年 《日本》 倭王讃(仁徳天皇?)が、宋に使者を送る。
  446年頃 《日本》 朝鮮、新羅より、金武が来日。天皇の病を治療。
(宋と北魏) 454年〜473年 {中国}

《日本》

陳延之「小品方」著す。  

五世紀後半、もと高句麗人で百済に帰した徳来が来日。後の難波薬師の祖となる。

  513年頃 《日本》 五経博士、来日
  514年 {中国} 中国鍼灸、朝鮮に伝えられる。
  520年 {中国} インド僧・達摩、広州へ来訪。その後、嵩山・少林寺に移り、按摩術「一指禅」を伝える。
  530年頃 {中国} 陶弘景「本草経集注」など著す。
  538年 《日本》 百済から仏教が伝わる(552年の説もある)。
  541年 {中国} 医師を朝鮮に派遣
  550年 《日本》 中国より灸治術伝わる。
  552年 《日本》 中国より「鍼経」が、欽明天皇に贈呈される。
  554年頃 《日本》 朝廷、百済に医博士の交代派遣と薬物送付を要請。
《飛鳥時代》 562年頃 《日本》 中国より、呉人、知聡(智聡)「明堂図」など百六十巻を携え来日。
581年 {中国} 文帝が隋を建国
  589年 {中国} 隋、中国統一
  604年 《日本》 聖徳太子が十七条の憲法を定める
  608年 《日本》 小野妹子、中国医学薬師、倭漢直福因(やまとのあやのあたえふくいん)や恵日を伴い、前年に引き続き隋に渡る。
  610年 {中国} 巣元方(そうげんぽう)「諸病源候論」著す。
618年 {中国} 唐、建国
  623年 《日本》 恵日、福因が隋、唐の医方を学び帰国。遣唐使を上奏。
  630年 《日本》 遣唐使の派遣 ・・・第1回目、薬師の恵日など。 894年までの間、10数回送られる。
  645年 《日本》 大化の改新。
  652年 {中国} 孫思?(そんしばく)「千金方(備急千金要方)」著す。
《奈良時代》 672年 《日本》 壬申の乱
  682年頃 {中国} 孫思?(そんしばく)「千金翼方」著す。
  701年 《日本》 大宝律令の制定。医疾令制定。朝廷は典薬寮を設立、中国医学を導入。
  710年 《日本》 平城京に都を移す。
  712年 《日本》 古事記ができる。
  752年 {中国} 王Z(おうとう)、「外台秘要(方)」著す。
  754年 《日本》 鑑真、日本に渡り中国医学(漢方医学)を講授する。
  762年 {中国} 王冰(おうひょう)、「素問」を注解し「補注黄帝内経」著す。
  781年 《日本》 遣唐使、羽栗吉麻呂の子、羽栗翼(はぐりのたすく)内薬司正兼侍医となり皇室の医療を担当。
《平安時代》 794年 《日本》 平安京に都を移す。
  799年 《日本》 和気清麻呂の子、広世「新修本草」と「薬経太素」を講義。宮廷医和気(半井)氏の始まり。
  804年 《日本》 最澄と空海が唐に渡る。
  805年 《日本》 菅原清、唐に渡り中国医学を修め、後に帰国普及に努める。
  806年 《日本》 空海、傷寒論などを書き写し帰国。
  905年 《日本》 古今和歌集ができる。
五代・十国 907年 {中国}  
  918年 《日本》 深根輔仁(ふかねのすけひと)「本草和名」編纂。日本最古の本草辞書。
北宋 960年 {中国}  
  984年 《日本》 丹波康頼(912年〜995年)、日本現存最古の医書「医心方」編纂。(陰陽五行説や脈論など、観念的、思弁的な部分は多く説略。)
  995年 《日本》 藤原道長が右大臣となり、政治の実権をにぎる。
  998年 《日本》 日本僧・「然(ちょうねん)、弟子を宋に遣わし、琥珀等の薬物を贈る。
  1026年 {中国} 王惟一(おういいつ)「新鋳銅人?穴鍼灸図経」著す。
  1041年 《日本》 宋恵清、日本に赴き医療を行う。日本人・藤原清賢、眼病治療を求めて宋に入る。
  1053年 《日本》 藤原頼通が平等院鳳凰堂を建てる。
  1068年〜1077年 {中国} 校正医書局、「素問」「傷寒論」「金匱要略」「脈経」「難経」「鍼灸甲乙経」「千金要方」「千金翼方」「外台秘要」などを刊行。
  1079年〜1154年 {中国} 許叔微(きょしゅくび)「傷寒百証歌」「傷寒発微論」「傷寒九十論」「普済本事方」など著す。
  1082年頃 {中国} 唐慎微「経史証類備急本草(略称:証類本草)」著す。
  1086年 《日本》 白河上皇による院政の開始。
  1107年〜1110年 {中国} 宋政府、裴宗元(はいそうげん)・陳師文らに「和剤局方」を編成させる。
  1108年 {中国} 宋政府、医官艾晟(がいせい)に「証類本草」の修訂を命じ、「大観経史証類備急本草(経史証類大観本草)」と改称
1115年 {中国} 金の建国
  1119年 {中国} 銭乙の弟子・閻考忠(えんこうちゅう)が銭乙の「小児薬証直訣」を整理編纂。
金・南宋 1127年 {中国} 南宋の成立。
  1129年 《日本》 鳥羽上皇の院政が始まる。
  1144年 {中国} 成無己(せいむき)「注解傷寒論」著す。
  1151年 {中国} 宋政府、「和剤局方」を許洪に校訂させ「太平恵民和剤局方」と改称、発刊。
  1159年 《日本》 平治の乱
  1167年 《日本》 平清盛が武士で最初の太政大臣になる。
  1172年 {中国} 劉完素(りゅうかんそ(河間))「黄帝素問宣明論方」著す。【寒涼派】〔温疫派〕
  1185年 《日本》 平氏が北九州にのがれ、壇ノ浦で滅びる。
  1186年 {中国} 張元素「医学啓源」「素問玄機原病式」著す。〔易水内傷派〕
  1191年 《日本》 栄西(1141年〜1215年)が宋より帰り臨済禅を伝える。
《鎌倉時代》 1192年 《日本》 頼朝、征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く。
  1219年〜1224年

《1221年》

{中国}  

《日本》

チンギス汗の征西。

承久の乱。

  1228年 {中国} 張従正(ちょうじゅうせい)「儒門事親」著す。【攻下派】
  1232年 《日本》 御成敗式目(貞永式目)がつくられる。
1234年 {中国} 蒙古、金を滅ぼす。
  1237年 {中国} 陳自明「婦人大全良方」著す。〔正宗派〕
  1241年 《日本》 弁円(円爾(えんに)、中国宋より数千巻の典籍を携え帰国。(内、中医書名30余部あり)
  1247年 {中国} 李杲(りこう、李東垣)「内外傷弁惑論」著す。【補土派又は温補派】〔易水内傷派〕
  1249年 {中国} 李杲(りこう、李東垣)「脾胃論」著す。【補土派又は温補派】
  1253年 {中国} 巌用和(げんようか)「済生方」著す。
  1268年 《日本》 北条時宗が執権となり、元の使者を追い返す。
  1271年 {中国} 蒙古の元が北京を都に定める。
  1274年 《日本》 元寇(文永の役)
  1281年 《日本》 元寇(弘安の役)
  1284年 《日本》 宮廷医、惟宗具俊(これむねともとし)「本草色葉抄」著す。
  1303年頃 《日本》 僧医、梶原性全(1266年〜1337年)、「頓医抄」著す。1315年には「萬安方」著す。
  1333年 《日本》 鎌倉幕府が滅びる。
《室町時代》 1338年 《日本》 足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ、京都に室町幕府を開く。
  1341年 {中国} 滑寿(伯仁)「十四経発揮」著す。
  1347年 {中国} 朱震亨(しゅしんこう、朱丹渓)「格致余論」著す。【養陰派又は滋陰派】〔丹渓雑病派〕
1359年 {中国} 滑寿「診家枢要」著す。
  1363年頃 《日本》 禅僧、有林「福田方」著す。
  1368年 {中国} 朱元璋が明を興す。王履「医経溯集」著す。 《日本》足利義満が3代将軍になる。
  1378年 《日本》 竹田昌慶、医書、本草書、鍼灸人体模型など携え、明より帰国。義満に仕える。
  1392年 《日本》 南北朝の合一。
  1396年 {中国} 劉純、「玉機微義」。
  1401年 《日本》 足利義満が明と貿易を始め倭寇の取りしまりを約する。
  1446年 {中国} 熊宗立、「医書大全」。
  1452年 {中国} 日本の僧医、月湖、明にて「全九集」著す。
  1467年 《日本》 応仁の乱が起こる。 戦国時代へ
  1482年 {中国} 王璽、「医林集要」。
  1498年 《日本》 明に渡り、月湖に学んだ田代三喜(1465年〜1537年)が金元医学、特に李朱医学を携え帰国。
  1508年 《日本》 坂浄運、明から帰国後「続添鴻宝秘要抄」著す。後に足利義政、後柏原天皇の侍医となる。(子孫は吉田盛方院家)
  1515年 {中国} 虞摶(ぐたん)、「医学正伝」。
  1528年 《日本》 阿佐井野宗瑞、日本で初初めて医学書を印刷出版。熊宗立の「医学全書」。
  1529年 {中国} 薛己(せっき)「内科摘要」「正体類要」「口歯類要」著す。高武「鍼灸聚英発揮」著す。
  1531年 《日本》 日本医学中興の祖と称される曲直瀬道三(1507年〜1594年)【後世方派】が田代三喜に会い師事する。
  1543年 《日本》 ポルトガル人が九州の種子島に鉄砲を伝える。
  1549年 《日本》 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教を伝える。
  1557年 《日本》 宣教師ルイス・アルメイダ、豊後の府内で日本初の西洋式病院設立。
  1558年以前 {中国} 薛己(せっき(立斎))、「薛氏医案」。〔易水内傷派〕
  1560年 《日本》 桶狭間の戦い
  1568年 {中国} ポルトガル宣教師でマカオ区主教のメルキオル・カルネイロ、西洋医による教会病院建設。
  1573年 《日本》 室町幕府の滅亡。
  1574年 《日本》 曲直瀬道三『啓迪集(けいてきしゅう)』著す。
  1575年 {中国} 李てん(りてん)、「医学入門」
  1578年 {中国} 李時珍「本草綱目」著す。
  1582年 {中国} イタリアの宣教師マテオ・リッチ伝道に西洋医薬を利用。  《日本》本能寺の変。
  1584年 {中国} 呉崑、「医方考」
  1585年 《日本》 秀吉が関白となる。
  1587年 {中国} きょう廷賢(きょうていけん)「万病回春」著す。
  1590年 《日本》 秀吉が全国統一。
  1591年(93年) {中国} 方有執(中行)、新論法をもって「傷寒論条弁」著す。(王叔和版の訂正)〔弁証傷寒派〕
  1599年 {中国} 趙開美、「仲景全書」。
  1600年 《日本》 関ヶ原の戦い
《江戸時代》 1603年 《日本》 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
  1602年〜1608年 {中国} 王肯堂「証治準繩(六科準繩)」著す。
  1604年 {中国} きょう雲林(きょう廷賢?)「小児推拿秘訣」著す。
  1608年 《日本》 曲直瀬玄朔(げんさく:二代目道三1549年〜1631年)【後世方派】徳川秀忠の病を治し、江戸に招かれ以後、江戸と京都に隔年に居住。
  1615年 {中国} きょう廷賢「寿世保元」著す。《日本》大阪夏の陣、豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。
  1616年 《日本》 ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。家康が死ぬ。
  1617年 {中国} 陳実功「外科正宗」著す。
  1624年 {中国}

《日本》

張介賓(ちょうかいひん、張景岳)「類経」を著す。〔通俗傷寒派、易水内傷派〕

スペイン船の来航を禁止する。

  1628年 《日本》 名古屋玄医生誕(1628年〜1696年)。周易筮儀に長け、「万病はすべて寒気の一に傷られるによって生ず」とし貴陽賤陰、扶陽抑陰を治療指針とし、「黄帝内経」「難経」「傷寒論」「金匱要略」「本草」など研究し、古典の重要性を説き古方派の始祖と言われる。
  1635年 《日本》 日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止する。
  1639年 《日本》 ポルトガル船の来航を禁止する。鎖国の完成。
  1640年 {中国} 張介賓(ちょうかいひん、張景岳)〔易水内傷派、通俗傷寒派〕「景岳全書」を著す。
  1642年 {中国} 呉有性、「温疫論」著す。
1644年 {中国}

《日本》

明の滅亡、清王朝。

宗門改めの制を定める。

  1648年 {中国} 喩嘉言〔経典雑病派〕、「傷寒尚論編」著す。
  1649年 《日本》 スハンベルゲン・カスパル来日。カスパル流外科を伝える。
  1653年 《日本》 戴曼公(独立性易)、長崎に渡り後に岩国で池田正直に治痘術を伝える。
  1659年 《日本》 後藤艮山生誕(1659年〜1733年)。【古方四大家】。百病は一気の留滞に生ずると主張(一気留滞説)。順気をもって治療の綱要とする。古方派の祖と言われ、弟子は香川修庵や山脇東洋。
  1670年 {中国} 程応旄(ていおうぼう)〔弁証傷寒派〕、「傷寒論後条弁」著す。
  1680年 《日本》 綱吉が5代将軍となる。
  1682年 {中国} 汪昂(おうこう)「医方集解」著す。  《日本》長崎のオランダ通詞本木庄太夫(良意)がドイツ人、ヨハン・レムメリンの人体解剖図を翻訳し『和蘭全身内外分合図』を著す。出版は1772年。
  1683年 《日本》 香川修庵生誕(1683年〜1755年)。【古方四大家】。素問、霊枢、難経などを「邪説」とし「儒医一本論」を説く。「自我作古」。
  1694年 {中国} 汪昂(おうこう)「本草備要」著す。(西洋医学思想の流入あり)
  1695年 {中国} 張ろ「張氏医通」著す。
  1702年 《日本》 吉益東洞生誕(1702年〜1773年)。【古方四大家】。「万病一毒説」を説き、体内の毒は証拠が体表に現われ、その多くは腹診によって確かめることができるとし腹診を重要視する。強い作用をもつ峻剤を用いる攻撃的な治療を行い、近代的で西洋医学に通じるものと高く評価される。「天命説」を主張。
  1705年 《日本》 山脇東洋生誕(1705年〜1762年)。【古方四大家】張仲景の傷寒雑病論を唯一無二の聖典と仰ぐ。
  1713年 《日本》 貝原益軒、「養生訓」著す。 寺島良安、「和漢三才図会」著す。
  1716年 《日本》 吉宗が8代将軍となる。 享保の改革。
  1726年 《日本》 松岡玄達、「用薬須知」著す。
  1742年 {中国} 呉謙ら「医宗金鑑」刊行。
  1744年 《日本》 和田東郭生誕(1744年〜1803年)。【折衷派、泰斗】。「一切の疾病の治療は、古方を主として、その足らざるを後世方等を以て補うべし」と主張。
  1746年頃 {中国} 葉桂(ようけい、葉天士)〔温熱派〕、「温熱論」「臨証指南医案」著す。
  1746年 《日本》 山脇東洋、明版の「外台秘要方」翻訳、幕府に献上。
  1750年 《日本》 吉益南涯生誕(東堂の長男:1750年〜1813年)。気血水説を創唱し、これによって傷寒論を解釈する。
  1754年 《日本》 京都六角獄にて、日本初の人体解剖が行われ、山脇東洋らが観察記録。1759年に「臓志」出版
  1757年 {中国} 外国からの伝道師の取り締まり。医学など西洋学術一般の禁止。
  1765年 {中国}

《日本》

趙学敏「本草綱目拾遺」の中で阿片の害を警告。(西洋医学思想の流入あり)

目黒道琢(1739年〜1798年)【考証学】幕府直轄の医学館創建時、講師陣の一人として招かれる。

  1774年 《日本》 杉田玄白・前野良沢らが「解体新書」を著す。オランダのクルムス著の医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳。
  1790年 《日本》 幕府、朱子学以外の学問を禁止する。(寛政異学の禁)。
  1798年 {中国} 呉鞠通〔温熱派〕、「温病条弁」著す。
  1799年 《日本》 尾台榕堂生誕(1799年〜1870年)。【古方派】東堂の学統を継ぎ日本漢方界に絶大な影響力を及ぼす。

 

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